1936年徳島生まれ
7人兄弟の長男
義務教育中学卒業後 父の弟子 指物師の修業
23歳 額縁製造の木工業を起業、経営
絵画ブームもあって額縁がよく売れた
ある国会議員の一言で売れなくなる
25歳 喘息 北米のインセンスシーダーという材木(鉛筆に使われる材料)を吸い込み発症
29歳 幸子氏と結婚、翌年母死去
幸子氏が喘息をなんとか治そうと情報を集め、中心会という団体、京都で新日本延命学という会がやっている家庭健康法に出会う。
組み立てた鉄棒につかまりながら、寝ている相手の足や背中に両足で乗って踏み合う健康法で、定期的に講習会に参加していたが、ほどなくこの講習会は開かれなくなる。
自分なりに循環療法として根源的なものだと感じ、自分で普及していこうと思いたつ!
いつでも、どこでも、だれでも楽にやれる健康法でなくてはならないという考えから、素手で素足でやれる楽健法のやり方を工夫して、普及に努めるようになる。
楽健法ができるようになってから、喘息も起きなくなっていく。
自宅近くの酵素風呂の経営者を通して、酵母菌と出会う。
作り始めたのが楽健寺の天然酵母パンで、試行錯誤しながらパンの研究をしているうちに市販されているパンとの違い、パン作りの考え方と科学的な考え方との差がはっきり見えてくる。
36歳(S47)楽健法活動開始
38歳(S49)額縁工場を半分辞めて楽健寺パン工房
出家 真言宗 東光寺住職
40歳(S51)丸山博先生と出会う
アーユルヴェーダ研究会と有害食品研究会の事務局長を9年間担当後に、アーユルヴェーダ研究会がアーユルヴェーダ学会となってから再度事務局長を担当、通算18年間務める。
アーユルヴェーダを学ぶことで、楽健法普及と天然酵母パンの普及は、今後の健康と食の文化の大事な柱として人々が認識してくれる時代がくることを確信する。
2022年9月 86歳没
『二人ヨーガ楽健法』
山内宥厳著
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『楽健寺酵母でパンを焼く』
山内宥厳著
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